いまがたり。

ふと疑問に思ったことを適当に書き残していきます。

自分で判断することの重要性

さっきの初めての投稿めっちゃ緊張した…

改行の間隔が思ったより広かったので( ^o^)<ンンンンンンンンンンンンwwwってなってました。徐々に慣れていきたいと思います。

さあ今回の話題ですが、自己判断の重要性ということで、長ったらしい文章書いたもんだな~と自分で読み返してみて思っています。ま、適当に読んでいってください~。

 

さて、日本人は協調性(同調性)があるとよく言われますよね。悪く言えば周りに流されやすいとも。

これは海外ではあまり見られない日本の文化でもあります。

でも本当にそれは大丈夫なのかなーと、ふと疑問に思ったわけです。

自分で深く考えることをせずに周りに流されているだけで、本当に正しい道に進めるのだろうかと。

 

ひとつ身近な例を挙げます。

つまらない授業だから寝てしまう。学生にありがちな心理ですよね。僕にも心当たりがあります。(教授さんゴメン)

しかしそれは本当につまらない授業でしょうか?本当に自分がつまらないと思った授業でしょうか?

大学の講義は席が自由に選べます。後ろの席で授業を受けていると、寝ている人やずっとスマホを見ている人がよく視界に映ります。後ろに行けば行くほどよく見えます。

初回の授業で後方に座ってこの光景を見せられると「あ、この講義はつまらないのかなー」という先入観を少なからず持ってしまいがちになります。

この先入観は無意識に形成されているのではないかと思います。

しかし、一度最前で講義を受けてみるとどうでしょうか?周りのことなど何も見えない、いわば盲目とも言える状態です。

教授と1対1で講義を受けてみると、これが意外と面白く感じることもあるものです。他の人が寝ている講義でも、自分の価値観オンリーで講義と向き合うと、いままでとは違った見え方をすることがあります。(僕はありました)

もちろんそれでも面白くないと感じる講義はあります。しかし、まずは自分の内側の判断のみで物事を捉えてみることが必要だと僕は感じます。

 

ここで僕の大好きな声優、上坂すみれさんの言葉を引用します。

自分が実際に出会う前から、インターネットに言葉を入力すると、これはいまいちだったとか、それをするのは難しいといった言葉が目に入ってしまう。ネットのレビューで☆がひとつだからといって、その作品や場所から何も感じるものがないといったら、それはぜんぜん間違いだし、誰か他の人が下した判断に頼るのではなく、自分でものを考える習慣をやめてはいけません。

世界でいちばんユニークなニッポンだからできること(PARCO出版)より引用

上坂さんは超が付くソ連マニアなのですが、日本では悪いイメージばかり抱かれがちなソ連という国に、偏見を持たずして触れてみたら、とても楽しい人生を送れることができていると言っています。

他人のレビューを見て先入観を持つ前に、まず自分の回答を持つ。その回答こそがいまの自分自身の本心なのです。

確かに、自己判断にずっと固執して行動してしまうと、現実とのギャップに適応できなくなり環境でうまくいかなくなることもあるでしょう。

しかし、一度自分自身で評価することで、その現状に満足できるかを見極めることは大切なはずです。

 

技術革新が進んでいく現代、我々の生活は日々新しくなっていき、多くの人に共通する安定したライフサイクルというものの確立が更に難しい時代になってきている気がします。

だからこそ自分で判断して自分の生き方を模索することが大事になってくるんじゃないかなーと思います。

 

終わりに、この記事をどう判断するかもあなたの自由です。しかし、周りの評価を見る前に、まず自分自身の心と対話してみて欲しいなと思います。

 

 

でもこの記事にはそもそも比較できる評価がない!困った!w

ということでみなさんどんどんコメントしてください~待ってます(^ν^)