オタク人生の歩み方
オタクにもいろんなオタクがありますね。
アニメ、声優、アイドル、パソコン、鉄道、特写、ミリタリー、更にはプロレス、ソ連などなど…
最近はオタクを自称する人口も増え、ひと昔前から比べると考えられないほどにオタクが生きやすくなった世の中だと言われます。
オタクというのは元々コアな趣味を専門にしているので、基本は自分と同じ趣味の人をあまり見つけられません。それ故に、同じコンテンツが好きな人を見つけると途端にテンションが爆上げになります。
しかし、同じコンテンツを好きだったしても、そのコンテンツに対して一様に同じところが好きだとは限らないのではないでしょうか。
例えば、“ラブライブ!”一時期社会現象を起こしたとまで言われるコンテンツですが、現在では、2016年4月1日に解散をしたμ'sというグループのみを今でも支持する派閥と、現在続いているラブライブ!サンシャイン!!のAquorsというグループも支持する派閥に分かれ、一部では今も対立しています。元は同じコンテンツが好きだったはずなのに、μ's解散後には完全におおよそ二つの層に分かれてしまいました。
これは「ラブライブ!」というコンテンツの何が一番好きであったか、によって変わる必然的な分かれだったかと思います。
μ'sの完結した物語が好きだったのか、はたまたラブライブという物語が続いていくことが好きだったのか…言葉で一概に括ることはできませんが、そのような各個人の想いによって進む道が変わっていってしまったのです。
このように大枠でみれば同じものが好きな人同士でも、細部でみたら全く違うフォーカスで好きだった、という経験はオタクの皆さんならあるのではないでしょうか。
そしてこの場合に厄介なのが、同じ趣味を持ちながらお互いに本当に好きな部分のズレがあるとき。
そこで少し違う面が好きだとわかると、本当に好きな部分をわかってもらえずなんとも言えない気持ちになります。
どうしてこのような違いが生まれるのでしょうか?
悠木碧さんという声優がとある生放送動画でこのようなことを言っていました。
何か好きなものがあったとして、自分と(の関係)っていうのって、恋愛関係と一緒だと思っていて、(中略) その関係性ってそこにしかないものだし、人に何か言われるもんでもないんですよ。だからオタク同士で仲良くするのは難しいんですよ。笑
趣味に対しての感情を恋愛関係に例えていますね。おもしろい考え方だと思いました。
二人の人間が同じ人を好きになるときにその理由が異なるように、コンテンツが同じでも捉え方は人によって変わるのです。
悠木さんは他にも「コンテンツの愛し方は人それぞれで、コンテンツは一夫多妻制だ」いう表現をしていました。
コンテンツが夫で、オタクたちが妻。同じ夫でも違う愛し方をするのは当然ですね。
このように、一人ひとりその趣味の好きな部分は違うのです。だから、その趣味に対して浅いか深いかは関係なく、またどの面が好きであるかなども周りに合わせる必要はないんです。
自分が好きなように趣味に対して接し、楽しむことを一番にしていくべきではないでしょうか。
しかし、このままでは趣味と自分の1対1の関係のみになります。となると、オタクには仲間が必要ないのではないかという疑問が浮かびます。
どうしてオタク友達は必要なのでしょうか?
ひとつは新しい視点を与えてくれるからだと思います。
同じコンテンツを追いながら違う価値観を持つ人がいる、それを知ることにより、そういう楽しみ方もあるんだと気付くことができます。
また、単純に情報共有のために必要とも言えます。
情報というのは確定的な要素なので、多ければ多いほど趣味を嗜めると言えるでしょう。
過去の情報も最新の情報も、得れば得るほど会話や議論の余地が深まって楽しめるでしょう。
同じ趣味の仲間とは、
語り合えるところは存分に語り合う。
ズレているところは、あまり掘り下げないでそっとしておくか、興味を持って存分に掘り下げて腑に落ちるまで理解し合う。
そのようにして同じ趣味を持つもの同士はより深め合っていけるのではないかなと思います。
といっても、好きというのは感情なので、具体的な言葉に表して理解し合うのは難しいですよね…理由はわからないけど好き、というあり方もあるでしょうし…
まだまだオタクとしての生き方は模索していく必要がありそうです *\(^o^)/*
たぶん続く…